創業者2人の「縁」は“黄檗”にありました。黄檗宗の僧侶と黄檗出身のエンジニア。
ITベンチャーで勤務する僧侶は、修行を終え、自坊での仕事も増えつつある中、アナログだらけの自坊の業務に愕然しました。ほとんどが紙で管理され、お寺の大半のことは当人の頭の中。聞かなければ情報にたどりつけない。世襲によって世代が継承されているうちは、時間をかければ、その歴史を紡ぐことはできますが、ひとたび途切れてしまえば、その「紡ぎ」を取り戻すことはできないでしょう。日本全国に約7万8000カ寺あるとも言われるお寺は大半は家族経営であり、お坊さんは法人の代表です。「仏教を伝える」という最も時間を割くべきところに必要が資源を投下することができず、このお寺という法人を維持するための多岐にわたる業務に追われています。
お寺で生まれ育った僧侶が、お寺の近くで生まれ、お寺によく足を運んだエンジニアにこのような状況と悩みを相談したことからすべてが始まります。一説には、20年後には現在の3割の寺院が消滅するとも言われています。檀家離れ、お寺離れ、と騒がれて久しくはありませんが、視点を変えれば、激動の世の中にお寺がついていけていないとも言えるのではないでしょうか。その結果が檀家離れ、お寺離れという表現につながっているのだと。お寺が離れていっているのではなく、お寺がついていけていない。お寺というハードは仏教というソフトとそれを伝えるお坊さんがお寺にいて、初めて機能します。このハードを維持するために奔走し、「仏の教え」を伝えるということに時間を割けていないお寺が数多くあります。お寺から人が離れることで、歴史、文化、伝統など、たくさんの価値あるお寺が取り残され、荒れ果てていってしまうでしょう。その価値ある資産、お寺を1つでも多く残すため、精力的に活動するお坊さんを支えるための基盤となりたい。
この考えに至る過程で、そもそもお寺に足を運ぶ人たちはどのようなことを求めてきているのだろうか、どうして、お寺とのつながりが続いているのだろうかということを2人で議論しました。その結果、わたしたちはとある解にたどりつきました。
- お寺は生き方、人生の方向性を指し示してくれる場所
- 人生とは、ということを気づかせてくれる場所
つまり、お寺に答えを求めにくるのではなく、また、お寺が答えを突きつけるのではなく、気づきを求め、お寺に足を運んでいるのだと。道を指し示してくれ、背中を押してくれる存在がお寺だということ。このきっかけ、気付きを与えることをインターネットの力を活用して今まで以上に届けることができるのではないか。きっかけを求める人々との接点が創出され、お坊さんが気づきを与え、偶然の縁で仏教への入り口が開き、その魅力に気づいてもらえるのではないか。この気づきを起点として、お坊さんが注力すべき「仏教を伝える」ということに最大限投下できるよう支援できる仕組みをつくっていきたいと考えています。